人事・総務の方へ(河野慶三コラム)

第2回 健康経営

健康経営の画像

 最近、「健康経営」という言葉を目にすることが多くなっています。健康経営の音頭をとっているのは経済産業省で、担当部署は同省の商務情報政策局ヘルスケア産業課です。2016年4月に出た企業の「健康経営」ガイドブックによると、健康経営は「従業員の健康保持・増進の取組が、将来的に収益性等を高める投資であるとの考えの下、健康管理を経営的視点から考え、戦略的に実践すること」と定義されています。

 労働者の健康保持・増進は、今からおよそ30年前の1988年に労働安全衛法第69条で事業者の努力義務として規定されたものです。制度としては、全労働者を対象として心身両面の健康保持・増進を図るトータル・へルスプロモーション・プラン(THP)として推進されてきました。

 両者はどう違うのでしょうか。もっとも違うのはその目的です。健康経営は将来的な企業の収益性を高めることをその目的としているのに対し、THPは「個々の労働者が健康を資源として捉え、生活の質(QOL)を維持・向上させること」を目的としています。ですから、THPの直接の受益者は労働者個人です。事業者からみて、労働者個人の利益のための活動にお金を使うことを何故しなければならないのでしょうか。

 当時、我が国の労働力人口の減少が確実視され、労働者の高齢化に伴って生じる健康上のマイナス(いわゆる「成人病」)が労働力の損失に繋がるとの危惧が高まっていました。労働者の健康の問題が経営上のリスクになるとする考えが出てきたのです。すなわち、労働者の健康問題は即解決しなければならない状況にはないが、将来高い確率で生じうる問題であり、対策としての先行投資が必要だと考えられるようになりはじめました。労働者の健康問題は福利厚生の対象であるとの考えが強い時代でしたが、労働者の健康はリスク管理の対象であるという、2000年を過ぎてから徐々に広がった現在の考え方の萌芽がここにみられます。リスク管理の対象とするということは、その費用をコストでなく投資と考えることです。

 健康経営もTHPも従業員の健康を資源として捉える点は同じです。しかし、健康経営では企業が収益を上げるための資源だと考えるのに対し、THPではあくまでも、一人ひとりのQOLを向上させるための資源であると考えることが違います。THPも企業の収益向上に関心を持ってはいるのですが、それはあくまでもQOLが向上した結果として捉えます。この目的の違いの認識は活動の評価の時点で大きくクローズアップされることになります。健康経営では、収益性の向上がなければ、健康投資の評価は上がりません。

 すでに述べたとおり、THPは30年に近い歴史をもっている施策ですが、振り返ってみると、労働者の生活の質を維持・向上させるという目的を達成することができませんでした。1990年以降の急速な高度情報化・グローバル化の進展は労働者の働き方を大きく変化させましたが、それに伴って生じる心身の健康問題(脳・心疾患やメンタルヘルス不調)の予防にTHPはほとんどその効果を発揮できなかったのです。その最大の理由として、THPに対する多くの経営者の理解が進まなかったことがあげられます。1990年後半からの苦しい経営状況のもとで、THP指針で示された活動が多くの企業で中断されてしまいました。

 健康経営は経営者が収益性の向上を目指して行うトップダウンの活動なので、「経営者の理解が進まない」という問題は生じません。THPを含むこれまでの産業保健活動を展開するうえで最大の阻害要因であった、「経営者の理解」の問題が解消されることに期待したいと、私は思います。しかし、産業保健活動の目的を収益性の向上とすることには賛成できません。産業保健活動を、労働契約法で事業者に課されている「安全配慮義務」の履行を支援することをとおして経営のリスク管理に役立たせるということで折り合っていくのかなと、一人の産業医として考えています。

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このコラムの執筆者プロフィール

河野慶三先生

河野 慶三 氏(新横浜ウエルネスセンター所長)

名古屋大学第一内科にて、神経内科・心身医学について臨床研究。
厚生省・労働省技官として各種施策に携わる。
産業医科大学、自治医科大学助教授など歴任。
富士ゼロックスにて17年間にわたり産業医活動。
河野慶三産業医事務所設立。
日本産業カウンセラー協会会長歴任。
平成29年より新横浜ウエルネスセンター所長に就任。