第4回 事例性

「事例性」は、産業保健領域の重要用語のひとつである。その対になる用語は「疾病性」である。「事例性の背後にある疾病性を見落としてはいけない」とか、「疾病性はあっても事例性がなければ職場では問題とならない」といった使われ方をすることが多い。職場では、多くの問題は事例性の形で顕在化する。
事例性の核となる意味は「平均的な姿からの乖離」である。つぎの二つの場合がある。
- その人が属する職場集団の平均的な姿からの乖離
- その人がそれまでに示してきた通常の行動様式からの乖離
@は、メンバーが定常的に残業をしている組織のなかで、「自分は残業はしない主義だ」と主張して定時で帰ってしまうような例のことである。事の善悪は別として、その職場集団の平均的な姿から乖離していることはまちがいない。
Aは、それまで遅刻などしたことがなかった人が、遅刻を繰り返したり、無断欠勤をしたりするようになった状態、あるいは、それまで上司にたてつくような行動をしたことがなかった人が、些細なことで上司と衝突するというような状態を指している。いずれもその人のそれまでの平均的な姿から乖離した状態である。
どちらの事例であっても、職場環境に影響が出ることは明らかで、管理監督者には何らかの対策、すなわち労務対策を講じることが求められる。
@のタイプの事例は、本人の行動が組織の活動にどんな影響を与えるかによって組織からの反応は異なるにしても、わが国の従来の職場では、人間関係の障害を起こし、協調性がないということでその職場から排除されることが多かった。しかし最近では、事例性のある事例についても、ダイバーシティの観点から、排除ではなく可能な限り「取り込む」ことが 主張されるようになってきた。最近では、@の事例としてあげられる、発達障害を含む精神障害者、身体障害者、がんなどの治療が長期にわたる身体疾患り患者、育児・介護などの家庭事情のため他の労働者と同じ働き方ができない労働者などとの共存が求められているのである。
Aのタイプの事例に関しては、「いつもと違う」という言葉を用いて、労働者のセルケアと管理監督者のラインによるケアのキーワードとして使ってきた。セルフケアでは「いつもと違う自分への気づきをよくする」こと、ラインによるケアでは「いつもと違う部下への気づきをよくする」ことが対処の出発点であることを強調すると同時に、「いつもと違う」ことに気づいた場合には、セルフケアでは自分を振り返りいつもと違うことに対処すること、ラインによるケアでは部下に声かけをし、本人から話を聴くことを勧めてきた。
産業医は、@、Aどちらの場合でも、その背後に疾病性すなわち病気が存在する可能性があることを念頭に置いておき、病気がある場合には、労務対策に優先して疾病管理のルートに乗せることが必要である。事例性を生じさせている原因や背景要因が病気であることが明らかな労働者に対しては、事業者は安全配慮義務を遵守した措置をとらなければならないからである。