第7回 対応困難とは

「対応困難事例」というと何となくわかった感じがするのですが、対応困難だと言っているのが誰なのか―人事労務担当者なのか、管理監督者なのか、同僚なのか、家族なのか―ということを取りあげてみましょう。
まず、「人事労務担当者」が対応困難だと思うのはどんな場合でしょうか。それはおそらくルールがはっきりしていない場合でしょう。ある事態が発生したらその事態にはこう対処するということが決まっていないと、人事労務担当者は自分で考えて対処しなければなりません。対処に自信が持てない場合には対応困難と感じるでしょう。ですから、人事労務担当者が対応困難だと思っても、産業医にとっては対応困難でないこともおおいにあり得るわけです。
逆に、人事労務担当者がいいかげんにやっている場合は、当人が対応困難だと思うことはないので、何も問題はないという形で過ぎていきます。しかしその結果、労働者が会社を辞めるとか辞めないとかというクリティカルな状況になると、産業医がかかわらなければならない場面が出てきます。そうした場合は、私たち産業医にとっては、時間的な余裕がないということも含めて対応困難になりやすくなります。この場合、人事担当者がはじめにちゃんとやってくれていれば、対応困難にはならなかったということも十分あり得ます。
つぎは、「管理監督者」が対応困難だと思う場合です。これもいろいろあると思いますが、一番は管理監督者にやる気がないときですね。管理監督者が事例性のある部下に対応することが自分の仕事だと思っていないと、すべての事例が対応困難になります。ですから、部下の健康状態を把握し、健康状態に問題がある人に対応するのはまずは管理監督者の役割だという認識を管理監督者が持っていることが必要です。これは、安全配慮義務の実行責任が管理監督者にあることの当然の帰結なのですが、多くの企業でこの点の教育が徹底しておらず、管理監督者の認識が不足しているという問題があります。
そうした状況下では、管理監督者は「なんでこんな役に立たない部下が自分のところにいるのだ」という気持ちになりやすく、それが問題をこじらせる要因となります。対応困難の一番の根っこはそうした教育が徹底していないことにあるわけですから、事業者が管理監督者にそのための教育をして、この認識を強化しなければなりません。産業医が自分はそうした対応困難な事例に遭遇したくないと思うのであれば、管理監督者に教育をすることの必要性を事業者に理解してもらい、管理監督者が対応できるようにすることが確度の高い対策となります。
それから「同僚」の場合です。同僚には一般に、「自分たちには関係のないことなのに、どうして自分たちがこんなことに巻き込まれなければならないのか」と考える傾向があります。同僚がそんな人とはかかわらない、放っておけばいいと思える場合には、全然その人に対する対応困難感は生じません。しかし、放っておけない人が必ず出てきます。2人で同じ仕事を受け持っている場合、一方が何もしないということになると全部自分がやらなければならなくなります。そういう人に対して同僚はどのような対応をすればいいのか、これはその同僚からみれば大きな問題です。そのことについて相談する相手は原則として管理監督者です。同僚が管理監督者に状況を訴えます。話を聴いた管理監督者が対処すれば同僚の重荷は減るのですが、同僚の訴えに管理監督者が無関心だと同僚がどんどん巻き込まれていって、結果として同僚に健康上の問題が生じることもあり得ます。
「家族」の場合は、いつものように会社に行くことができなくなった労働者に対して、家族がどう対応するのかがもっとも大きな問題でしょう。家族に問題があって会社に行けなくなる従業員の問題もあります。
このように考えると、対応困難ということをある横断的な断面だけで捉えて、「この人にはうまく対応できない」と決めつけてしまうのは相当危険であることがわかります。対応困難だと訴えるのが誰であっても、その人が対応困難になっていったプロセスをきちんと分析することが重要で、私たち産業医には、日常活動をとおしてそのための力をつけておく必要があります。誰の責任だというのではなくて、職場の中でどういうプロセスでその人が対応困難な事例になっていったのかを判断しなければなりません。
私たちがしばしば経験するのは、たとえば、1年に2回、3回と配置替えにあっていて、10年くらいで十数か所の職場を転々とした経歴が記録に残っている人です。そういう人が健康上の問題を起こして私たちの前に現れたときに、その時点での問題を横断的に捉えるだけでは、恐らく対処は困難でしょう。適切な対処には、その人がなぜ10年の間に多くの部署を転々としなければなかったのかについての情報が必要です。調べてみると、一方的にどちらかに問題があることは少ないことがわかります。本人と職場環境の双方にそれなりの問題があって、職場環境に歪が生じ、そうした結果をきたしているわけです。
その人たちを見ていると、「ああ、この人はかたづけられてしまったんだな」という気持ちに私はなります。事例性が生じた段階で、その事例性を解消しようという方向での対応がされず、その人が自分の周りからいなくなればそれでいいという観点で処理されてしまった。いわゆるたらい回しですね。そうされた人は、当然会社に対して反感を持ちますから、私たち産業医が対応しなければならない健康問題のところまで行きつくのに手間、暇がかかります。そう簡単に解きほぐすことができません。
そのときに私たち産業医が、そうした物語のある人だからどうしようもないと割り切ってしまえば、対応困難ではなくなります。「休むなら休む、来ないなら来ない。それでいい。就業規則上の期限がくればそれまでだ」。こういうふうに考えれば、それはそれで一応の対応です。でも、この人は今までいろいろあったかもしれないが、一度だけは労働契約を継続できる方向でなんとか対応してみようと考えた場合には、私たち産業医にとって対応困難な事例となることはまず間違いないでしょう。
「対応する」というのは、「かたづける」とか「処理する」とかではなくて、状況を「事例性」の視点から考え、問題の解決を図ることです。その場合、組織として問題を解決するという方向性が必要です。組織として問題を解決する方向で行動することをコンセンサスにする必要があります。先送りするとか、片づけるという視点からは、組織として問題を解決するという考えは出てきません。たしかに、そうすれば自分の部署から気にくわない者がいなくなるかもしれません。しかし、それではその人はよその部署に行けばそこでまた事例となる可能性が高いわけですから、企業という組織としてみれば、問題は解決していないのです。
先生方が今までこのような事例にどう対応されてきたのかについて振り返ってみていただければと思います。
人事は人事で俺の問題じゃないと言い、産業医は産業医でそれは人事の問題だと主張する。管理監督者は、部下に対して「おまえがだめだからだめなんだ」と言う。こうした場面は日常的にけっこう起こっていると思うのですが、そこで一番欠けているのは、組織として問題を解決するという方向性です。事業者は、当然その方向からの対応を望みます。
管理監督者の役割には、問題が起こらないようにすること、そして問題が起こったときにはそれに適切に対応することが含まれています。ですから、管理監督者が責任をもって対応すること、そしてそれに人事担当者がかかわることが基本です。遠回りのように思えるかもしれませんが、産業医が両者に対して日頃から情報の提供と相談対応を継続していくことが、対応困難な事例を生まないことに繋がっていきます。(この小論は、2013年3月9日に神奈川産業保健推進センターで「メンタルヘルスの対応困難事例に必要な対処法や社内体制について」と題して行った講演記録の一部を取り出して加筆したものです。そのため、文体が「です」「ます」調になっています)