第22回 長時間労働後帰宅途中の交通事故死と事業者の安全配慮義務

グリーンディスプレイ(和解勧告)事件
事件の概要
2014年4月24日午前9時頃、M(24歳、男)が、片側一車線の見通しの良い直線道路を制限速度にしたがって原付バイクで走行していたところ、バイクが左前方に斜走して歩道にはみ出し、路外の電柱に激突した。Mは、同日午前10時44分、頭蓋骨の広範囲粉砕骨折、脳挫傷、外傷性くも膜下出血のため、搬送された病院で死亡した。
Mは、2013年10月16日に(株)グリーンディスプレイにアルバイトとして採用され、翌2014年3月16日に正社員となった。
Mの業務は、顧客の店舗などにおける草花・観葉植物などの設営・撤去、設営後の水やりなどのメンテナンス、設営後の修正などの作業で、10〜20Kgの重量物を運ぶことも多かった。また、社用車を運転あるいは社用車に同乗して、複数の顧客先を短時間のうちに頻繁に訪問していた。さらに、深夜に及ぶ長時間の作業に従事することも常態化しており、事故前10日間(14〜24日)の拘束時間は3〜23時間、平均は13時間51分であった。
事故に近接する4月22日からのMの行動はつぎのとおりで、事故前日である4月23日の拘束時間は、11時06分から24日8時48分までの21時間42分、休憩した2時間30分を引いても19時間12分であった。
4月22日
- Mは電車に乗り6時29分に駅改札を出て、8時03分に取引先に直接出勤。
- 頻繁に移動しながら正午まで各所のメンテナンス作業に従事。
- 正午から1時間休憩。
- 午後は仕入れ業務を行った後、バイクをとりに帰宅して、18時に就業場所に戻った(この日は深夜まで仕事の予定があり、帰宅の足を確保するため、バイクをとりに自宅に戻った)。
- 移動を経て19時から20時まで装飾の撤去作業に従事。
- 移動を経て21時から23時まで荷下ろし作業に従事。
- 23時3分に退社し、バイクで自宅に帰った。
4月23日〜24日
- 11時06分にバイクで出社。1時間の移動を経て、正午から13時まで植栽の積み込み作業に従事。
- 移動を経て14時から20時30分の間に6時間資材の積み込み作業に従事。
- 23時までの2時間30分は休憩。
- 1時間の移動を経て24日0時から6時までに5時間30分植栽装飾の納品作業に従事。
- 1時間の移動を経て7時から8時30分まで片付け作業に従事。
- 8時48分バイクで帰宅。帰宅途中の9時12分頃に事故が発生した。
問題点の整理
- 深夜時間帯を含む不規則な長時間労働が続いており、Mに健康上の問題が生じる危険性が存在することは明らかな状態であったが、Mには身体疾患やメンタルヘルス不調のはっきりとした徴候は出現していなかった。
- 事故の直接原因は居眠り運転である可能性が大きい。バイクの運転に関する注意義務は運転者にあり、Mは睡眠不足状態での運転は避けるべきであった。その意味で、この事故の発生を防ぐ一義的な責任はMにある。
- Mの雇用者である(株)グリーンディスプレイは36協定にも違反しており、Mに対する安全配慮義務の遵守ができていないことは明らかである。しかし、2との関係で、事故そのものに対する責任をどこまで負わせることが妥当なのかが明確でない。
裁判所の判断
- Mの管理監督者であるZは、Mの勤務実態を知っており、睡眠不足で過労状態にあることも認識していた。しかし、ZはMの業務負荷を軽減し疲労の蓄積を防ぐための具体的な措置をしておらず、安全配慮義務は履行されていない。この事故が安全配慮義務の不履行に起因する睡眠不足が原因となって生じていることは明らかである。したがって、事故と業務の間に相当因果関係が存在する。
- 事故当日、Zはその気になれば、Mに公共交通機関を利用するなど、Mのバイク運転を制止する措置を実行でき、そうすることで事故を回避することができた。その点からも、事故の原因は安全配慮義務違反にあったと言うことができる。
- Mには居眠り運転に関する注意義務違反が存在するので、過失を相殺する必要がある。しかし、(株)グリーンディスプレイの安全配慮義務違反に比べMの注意義務違反が軽微であり、その過失の程度は1割を超えるものではない。
この事例から学ぶこと
この裁判を担当した横浜地方裁判所川崎支部が和解勧告を行い、それが成立したため、判決は出されていない。通常、和解の内容は公開されないので、当事者以外にはわからない。しかし、この事件では、裁判所が原告・被告双方に働きかけて同意をとり、争いに対する裁判所の判断とそれにもとづく和解条項を公開した。裁判所が過労事故死という概念を提示し、あえて過労事故死には事業者責任があることを明確にしようとしたのである。
わが国では2000年代になって労働契約法が制定され、法的な安全配慮義務の考え方が定着した。1980年代以降社会問題となったいわゆる過労死は、現在、安全配慮義務の不履行によって生ずるものとして、その発生防止が事業者の法的義務とされている。今回の事件は、出来事そのものは運転者の居眠りによる運転者自身の交通事故死であり、事業者に課されている安全配慮義務との繋がりは、一見したところない。
ところが、運転者の居眠りの背景に、36協定に違反する長時間労働があり、労務管理上明らかな安全配慮義務違反があることが明らかになったことから、居眠り運転という過失の本当の原因は何なのかが問われることになった。
Mがこうした状況下で、たとえば脳・心疾患あるいはメンタルヘルス不調になった場合を想定すると、(株)グリーンディスプレイに対して損害賠償請求の民事訴訟を起こせば、会社が安全配慮義務違反を根拠として敗訴することはほぼ確実である。しかし、今回の事故が他者を巻き込む人身事故であった場合には、M個人の刑事責任がまず問われることになり、そうはいかなくなる。
この和解勧告の意義は、そうした事態の生起を想定して、過労事故死という概念を提唱し、その社会的定着を図ろうとしていることにある。事業者の安全配慮義務の対象が事業場外で発生した従業員の交通事故にまで拡大することを認めるこの概念には、さらなる法的な検討が必要と考えられる。ただ、事業者が安全配慮義務の遵守を徹底すれば、過労事故死問題そのものが発生しないことが自明である点は指摘しておきたい。